2009年9月 1日

真性団塊ジュニア

三浦展は、「両親ともに団塊世代か、お母さんはもっと若いという子供が、出生総数に占める割合が高い世代こそが、真の団塊ジュニア世代だ」として、1973年から1979年までに生まれた世代を「真性団塊ジュニア」と呼び、1970年から1974年までに生まれた世代を「仮性団塊ジュニア」「偽団塊ジュニア」と呼んでいる。1970年代後半は、団塊世代を父に持つ子供が多く生まれた時期である。ただし、「仮性団塊ジュニア」という語は一般的ではなく、通常「団塊ジュニア」というと第二次ベビーブームに当たる1970年代前半に生まれた世代を指す例が多い。特に、各政府機関から発行される白書類では、通常は1970年代前半生まれを指している。この言葉はマーケティング世界でのみ使用されており、白書等では使用されていないので社会福祉士試験などでも当然使用されない。学生はこの点を特に留意していただきたい。
団塊ジュニア世代は人口が多く、子供の頃より、受験戦争と呼ばれるほどの入学試験などの競争を強いられ、特に大学入試に至っては「入りたい大学より入れる大学」、「現役は偶然、一浪は当然、二浪は平然」「二浪で駄目なら専門学校」「国易私難」という言葉が飛び交った。

団塊ジュニアが生まれた時期は、国内では連合赤軍事件や石油危機、国外ではニクソンショックやチリクーデターが起きた時期であり、高度経済成長が終わろうとしている時期に生まれた。

団塊ジュニアが小学校に入った時期は、戦後1世代(30年)を過ぎて「安定成長」と呼ばれた時期であり、省エネムードの中で小学校時代を過ごした。小学生終盤から高校時代にかけてはバブル景気の最中であり、兄姉世代であるバブル世代や、弟妹世代である真性団塊ジュニアと共に、1980年代の若者文化の中で育った。

成人する頃には、総量規制によるバブル崩壊と、ソ連崩壊による社会主義の没落に遭遇した。この為、大学卒と専門学校や短大の卒業者の一部は、就職氷河期に遭遇し、「貧乏くじ世代」「不運の世代」とも呼ばれている。一方で、専門学校や短大の卒業者の一部と高卒者は、バブル景気の恩恵を受けた。

就職活動に失敗し、フリーターや派遣労働者といった不安定労働者(プレカリアート)にならざるを得なかった者も多いが、1993年まではまだ雇用吸収力はそれなりに高かった。又、1996年のウインドウズブームとPCブームが一時的な景気回復に繋がったため、雇用吸収能力も次第に回復していった。1997年までは緩やかな景気回復期にあり、不況が12年以上も続くとは予想されていなかったので、団塊ジュニアは大卒も含めてどうにか就職できた人も多かった。しかし、大卒でもどうにか正社員になれたとはいえ、待遇や労働条件の劣悪な中小零細企業(いわゆるブラック企業)にしか就職できなかった人も多く、待遇や労働条件の悪さについていけずに転職を繰り返すうち、非正規雇用に追いやられた人も多い。また、旧帝国大学や有名私立大学を卒業した人でさえ、無名の中小企業にしか就職できなかった人も既に少なくなかった。超就職氷河期とも言われる本格的な就職氷河期は、1997年のアジア通貨危機以後、即ち真性団塊ジュニア以後の世代に該当する。


『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
大変な時代を生きた人たちなんですね。すごいと思います。

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2008年9月30日

池袋デリヘル前平のふと思ったこと『礼記』の成立

『礼記』の成立については、『隋書』芸文志、『経典釈文』序録、鄭玄『六芸論』(佚文)などが各々論じているが、相互に矛盾があり、正確なことは分っていない。その中でも有力な学説は二つ存在する。

第1の説は『隋書』経籍志を代表福岡私書箱するものである。それによるならば、前漢時期の宮廷図書目録である『漢書』芸文志には、「『記』141篇」とある。この中からまず戴徳が85篇を選び取り、『礼記』を作った。次に戴徳の兄の子であった戴聖は、戴徳の『礼記』からさらに46篇を選び取り、別に『礼記』を作った。戴徳と戴聖を区別するため、戴徳を大戴、戴聖を小戴と呼ぶ。そのため戴徳の『礼記』を『大戴礼記』(ダタイライキと発音することになっている)、戴聖の『礼記』を『小戴礼記』と呼ぶようになった。後、後漢末の大学者馬融は『小戴礼記』に3篇を付け加え、現在の全49篇になったというものである。この学説によると、『記』から『大戴礼記』、『大戴礼記』から『小戴礼記』が生れたことになる。

第2の学説は、鄭玄の『六芸論』を代表するものである。これは『記』から戴徳と戴聖が各々ばらばらに選び取り、各々『大戴礼記』と『小戴礼記』を作ったというものである。これによるならば、『大戴礼記』と『小戴礼記』は、本来、ばらばらに成立したことになる。

これ以外にも、『大戴礼記』と『小戴礼記』は、民間私書箱『記』から選び取ったのではなく、両者の師であった后蒼『曲台記』を継承したもので、本来は49篇私書箱であったとする学説も存在する。(黄懐信など撰『大戴礼記彙校集注』。ただしこの学説の成立を認めるには、いくつかの専門的文献批判を必要とする。)いずれにせよ、『大戴礼記』と『小戴礼記』の成立には確実な学説はない。

漢代に於いて、『大戴礼記』と『小戴礼記』はともに学官に立てられ、後漢には十四博士の一つになった。この二者の中、後漢末期の大学者保証人紹介鄭玄は、『小戴礼記』のみに注釈を施した。以後、鄭玄の名声も関係し、鄭玄の注釈つきであった『小戴礼記』が利用されたため、『大戴礼記』はふるわず、結局『小戴礼記』のみが流行することになった。このため『小戴礼記』は単に『礼記』と呼ばれるようになった。これが現在の『礼記』の原形である。なお現存する『大戴礼記』(だたいらいき)は81篇中39篇しか残っていない。(篇数の数え方は他にもある)


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』

2008年6月 5日

石綿って石で出来てるの?

そうなんでしょうねきっと!

石綿(いしわた、せきめん)は、蛇紋石や角閃石が繊維状に変形した天然の鉱石のこと。蛇紋石系(クリソタイル)と角閃石系(クロシドライト、アモサイトなど)に大別される。

概要
石綿の繊維1本の細さは大体髪の毛の5,000分の1程度の細さである。別名をアスベスト (asbest) と言うが、元はオランダ語で、英語ではアスベストス (asbestos) と呼ばれる。ギリシア語の?σβεστος(“しない(ない)”という意味の「a」と、“消化できる”という意味の「sbestos」)から来ている。


クリソタイル

石綿

石綿
耐久性、耐熱性、耐薬品性、電気絶縁性などの特性に非常に優れ安価であるため、日本では「奇跡の鉱物」などと珍重され、建設資材、電気製品、自動車、家庭用品等、様々な用途に広く使用されてきた。しかし、空中に飛散した石綿繊維を肺に吸入すると約20年から40年の潜伏期間を経た後に肺がんや中皮腫の病気を引き起こす確率が高いため、2006年現在では「静かな時限爆弾」などと世間からおそれられている。

日本では1970年代以降の高度成長期にビルの断熱保熱を目的などにアスベストが大量に消費されていたため、その潜伏期間が丁度終わり始める21世紀に入ってからアスベストが原因で発生したと思われる肺がんや中皮腫による死亡者が増加している。2040年までにそれらによる死亡者は10万人に上ると予測されている。また、アスベストが使用されたビルの寿命による建て替え時期が本格的に始まり、新たなアスベストによる被害が生まれてしまうのではないかと懸念されている。(アスベスト問題を参照)

また、ヨーロッパでも同様のアスベストによる被害が多く見られ、2020年までに肺がんや中皮腫による死亡者は50万に上ると推計されている。

歴史
古代エジプトではミイラを包む布として、古代ローマではランプの芯として使われていた。マルコポーロの口述によるとされる『東方見聞録』にヨーロッパでは火に焼けないサラマンダーの皮と知られているものが鉱物である旨の記述があり、これが石綿ではないかといわれている。

中国では、周の時代に征服した西戎からの貢ぎ物として石綿の布が入ってきて、火に投じると汚れだけが燃えてきれいになることから火浣布(火で洗える布)と呼ばれ珍重されていた。

日本では『竹取物語』に登場する、火にくべても燃えない「火鼠の皮衣」も、当時そういうものが実在したとすれば、正体はこの石綿であったろうと言われている。平賀源内が秩父山中で石綿を発見し、明和元年(1764年)にこれを布にしたものを中国にならい火浣布と名付けて幕府に献上している。この源内の火浣布は京都大学の図書館に保存されている。

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20世紀に入ると、建物などの断熱材や防火材、機械などの摩擦防止用などに大量に使用されるが、1970年代に入ると人体や環境への有害性が問題になった。発ガン性などが問題となり、2006年9月から、化学工業プラントで配管同士の接続に使用される「シール材」などの5製品を除き除き原則禁止になった。しかし、厚生労働省は、2008年4月に例外的に認められていた5製品についても2011年度を目途に全廃する方針を明らかにした。よって、同年度以降は、新たな石綿製品は国内では製造されないことになった。

日本国外の産地としてはカナダ(クリソタイル)、南アフリカ(クロシドライト)が有名。後者は使用が完全禁止となっているため、既に生産されていない。日本においては第二次世界大戦直前から各地で石綿資源の開発が始まり、北海道富良野市山部地区は数少ない国産石綿産地として野沢鉱山など大規模なクリソタイル鉱山が操業していた。このほか、熊本県や長崎県でも小規模で低品質のクロシドライト等が採掘されていた。これらは戦後も操業が続き、最終的に1969年に富良野市山部での採掘が中止されるまで小規模ながら生産が続けられた。なお、山部においては採掘中止後もズリ(廃石)から低品質の石綿が2000年代初頭まで回収されていた。
(以上、ウィキペディアより引用)

石綿って恐いですよね。。

2008年4月 3日

楽しそうな国の名前

こんな国があります!

ラップランド(Lapland)はスカンジナビア半島北部からコラ半島に渡る地域で、伝統的にサーミ人が住んでいる地域を指す。

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スウェーデン・ノルウェー・フィンランド・ロシアに4カ国にまたがっているが、ソ連崩壊と国際化の進展に伴って、既存の国境は重要ではなくなってきており、国境を越えた協力が重要視されている。これはこの土地に住む、サーミ人・非サーミ人を問わずに、考えられている。

ちなみに、ラップランドはサンタクロースが住んでいる場所でもある。

サーミ(Sápmi)とは、サーミ語で公式にサーミ人を指す時に使用される。日本で通常使われるラップランド(Lapland)とは、スウェーデン語の Lappland. を英語化したものである。フィンランド語では Lappi、ノルウェー語では Sameland と呼ばれる。但し、ノルウェー最北部の県はフィンマルク県(フィンランド人の地域)という名前である。(サーミは国を横断する地域の名前である。)元来はラテン語で Fenni と呼ばれていたが、13世紀に Laponia と呼ばれるようになった。ロシアでは Лапландия (ラップランディヤ)と呼ばれる。

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彼らを呼称する際に、どの言語を使って何と呼ぶかという点については、政治問題にもなりかねない配慮が必要な問題となりつつある。ラップランドという呼称が本来、"辺境"の地を指す蔑称だからである。本稿ではその本来の意味合いよりも日本での知名度を優先し、ラップランドの表記を優先する。
(以上、ウィキペディアより引用)

サンタさんの国なんですね!